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「失望」を放置することの意味2

2020 8/17
2020年8月17日

 大きな問題について「真正面から考える」といってしまってたじたじしています。そもそも、どっちが正しいなんてことは言うつもりはありません。身近な親族に戦没者のいないわたしに何がわかるのか、といわれてしまえば、その通りで、そのときは、ごめんなさいというしかないかもしれません。ただ、かつてのボスは、沖縄戦で父親を失っていて、遺族の代表として毎年のように靖国神社を訪れていたので、彼の秘書を兼ねていた当時は、ずいぶんと苦労話を聞かされたものです。

 今年の終戦記念日に、現役閣僚として参拝したうちの一人である高市早苗総務大臣はこのように述べました。「どの国であれ、それぞれの国のために命を捧げられた方を、どのようにお祀りして慰霊をするかというのは、それぞれの国の国民の皆さんが判断することで、これは決して外交問題にしてはいけないし、外交問題ではあり得ない」と。決して少なくない国民や遺族、存命中の戦争体験者や国際社会の憤りと反発を思えば、そうと聞いては突っ込みを入れたくなる、これはわたしの「さが」かもしれません。

 最も、違和感を覚えるのは、彼らの思いを受け止めようともしない「問答無用」のメッセージ。それが、深い深い失望になってしまっているという事実をみようとしない点です。つまり、足りないのは対話で、それを終始一貫避けてきて、まだいうかという徒労感。そこには、国民の判断なんて反映されていないし、泣く泣く戦地に駆り出されていった夥しいまでの若い命の、精神的支柱となった戦争動員装置。明治維新以来、天皇に歯向かったり、敵の捕虜となって病死したり、ましてや本土決戦の防波堤となったり、空襲や原爆で亡くなった一般人は誰一人祀られていません。高市大臣は、これらの人々が「国のために命を捧げて」いないとでもいうのでしょうか。

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